広告日誌

広告会社でプランナーをしている人間が書く日誌。サブカルからスポーツまで幅広く。

The Hero named Kamado Tanjiro(from "Kimetsu no Yaiba")

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鬼滅の刃

Recently, I am enthusiastic about the Manga serialized in  Weekly Shonen Jump, "Kimetsu no Yaiba".

 


TVアニメ「鬼滅の刃」ティザーPV

 

Since It was quite a while away from Manga("One-Piece" and "Naruto"), which had read through to the end, hadn't bought a "weekly Shonen Jump" for a few years since the end of the two series. In the old days, I was so enthusiastic. At that time, I accidentally saw Amazon Broadcast's "Kimetsu no Yaiba" anime broadcast, and then went back to the manga.

 What's interesting is that the main character, "Kamado Tanjiro", was a little different from the hero I've met so far.

 The idea that led me to write this article was to explore a new hero image that can be seen through the main character, "Kamado Tanjiro". I can't write it all at once, so I'd like to write it several articles with the following constitutions.

 

【table of contents】

・ released on 2/6:  What is a hero?

・ released on 2/13: How to draw a hero (US-Japan comparison)

・ released on 2/20: Hero drew by Weekly Shonen Jump (Showa-Early Heisei)

・ released on 2/27: Hero drawn by Weekly Shonen Jump (Heisei period-Reiwa)

・ released on 3/5: The future pioneered by Kamado Tanjiro

 

 

https://note.com/19830000/n/ne85c81c952fa?magazine_key=me9e8b1682316

 

 

2/3 つくし時代の思い出(その②)

Newspicksの記事をきっかけに書き始めたこのシリーズ。本日はその②です。

今回はつくし時代の思い出をベースに、学生時代に企業で働くことについて考えてみました。

私の学生時代にも採用プロセスにおけるインターンシップが定着していましたが、多いのは1dayや2dayなどのショット的なインターンでした。内容もちょっとしたグループワークをさせられて「はい、会社理解が進んだよね!おES書いて送ってね!」的なものだった。外資系企業だと、インターン自体が採用プロセスに組み込まれているから、就業体験という生半可なものというよりガチ選考という形式なので、死に物狂いでアウトプットを出した記憶があります。今となっては良い思い出。

そういう感じなので、企業のことを理解するのにインターンシップという手法は学生にとっては良い方法ではないというのが私の意見です。(学生の方も、「知ってる。あくまで選考に影響するからやってるだけ」そんな感じでしょうかね)

では学生が企業や特定の業界について理解を深めるにはどうすればいいのか?それは、チャンスがあるなら企業でアルバイトとして働くことを私は勧めたいと思う訳です。私が経験した「つくし」はまさにそれでした。

学生のとき私が有難いと思ったポイントはこれです。

・業界、業務の理解がすすむ
・社内や社員さんの雰囲気が感じられる
・やる気次第で仕事にも関われる?

業界、業務の理解が進む

やることは雑務で構わないです。というより、普通の学生は雑務しかできないと思います。雑務以外できるスーパーな学生というのはいない訳ではないですが、少ないはずです。

雑務といっても侮るなかれ。雑務からも多くのことを学べます(学ぼうと欲すればね)。何より行われている業務の全体像を知れば(想像できれば)、たとえ雑務であっても意図や目的まで遡って考え、それを知ることで仕事に臨めば、姿勢もアウトプットの質も段違いに変わってきます。どうしても分からないこと、興味があることは社員さんに聞けばいいんです。喜んで教えてくれました。

例えば、会社に届く郵便物の仕分け作業。膨大に届く郵便物を、オープナーで開けて取り出しやすいようにする。部署ごとに仕分けして届ける。そんな眠くなる(失礼、、)作業です。

しかし、その仕分け作業ですら私は楽しかった。なぜか?

・色々な会社、事業、ビジネスの仕組みを知ることができた
・どうしたら受け取った人が読みやすいか、次の仕事に移りやすいか考えながら仕事した(フィードバックももらいにいった)

いつもトライ&エラーしている気分で仕事をしていました。

それまで株式投資をしたことがなかった私は、「中間決算関係書類在住」と書かれた封書が大量に届くのを目にしました。開封して中身をまじまじと見ることは出来ません!(当たり前か)しかし、外面に書いてある内容からも多くのことが読み取れました。

例えば、各社の決算のタイミングとか調べれば直ぐに分かることもあるけど、その他に「へぇ、こういう書類は信託銀行が送るのか」とか「証券代行部ってなに?」とか。正直どうでもいいことかもしれませんが、こういうところから企業に興味をもったり、信託銀行という馴染みの薄い業種にも興味を持つきっかけになる訳です。色々なところにネタが転がっているので、それを目ざとく拾えるかどうか、それはもう自分次第です。

あとは、取り次ぐ電話も(当時はFAXも)学びの宝庫でした。とにかく色々な会社から電話が掛かってきます。もちろん英語で掛かってくることもあります。どんな会社と取引しているのか、その会社はどんな事業をしているのか。実際に訪問してきた人たちの雰囲気はどうか。色々分かります。実際に働くようになって、うちの競合のあの広告会社と取引してたんだな、なんてことも後で気づいたりします笑

そもそも、周りの社員さんが仕事の話をしているのでどんな会話がされているかを注意深く聞いていれば「なるほど、なるほど」ということが沢山ありました。

社内や社員さんの雰囲気が感じられる

断言できます。説明会などでは会社の雰囲気など分かるはずがない。OBOG訪問もしかりです、サンプル複数人だけでその会社の全体を推察することは不可能です。インターンでも大手企業のように会議室に缶詰めにされてしまえば雰囲気を察することはできません。ある一定期間、それは長い方がいいですが、社員さんと席を並べて仕事をすることができれば雰囲気が感じられるでしょう。

つまり、それ以外は実際に働いてみないと分からないということです。つまり、新卒で入社する会社なんてホントにガチャみたいなもんで、なんともリスク大きいことをやってたもんだと思います、はい。

ちなみに、社員さんも就業時間目いっぱいをフルにギアを入れている訳ではありません。集中して頑張る時間もあるし、息抜きで談笑する時間もあります。どちらかというと、後者の談笑する時間にその会社の雰囲気というのは表れるのではないでしょうか?前者の時間というのは、程度の差はあれどこも似たり寄ったりでしょう。静かにしてるわけですし。仮に会社の顔に表と裏があるのだとしたら、できる限り両方の顔を知りたいですよね。つくしは、知ることができました。有難や。

やる気次第で仕事にも関われる

余談ですが、ちょっと私が学生だったころを振り返ると、優秀な大学生が身近にいたことが幸いでした。彼ら優秀な学生は、常に高みを目指して活躍できる場所を探していました。その場所というのは、時を経るごとに移り変わっていて、私が大学に在学していた4年間でも移り変わりました。ひとつは学生団体(ビジネスコンテストとかイベントを企画運営したりする組織)を立ち上げている人たちがいました。しかし彼らはそのイベントがフォーマット化されて、誰でも運営できるようになってしまったらツマラナクなったのか次のステージに行ってしましました。次、彼らは自ら起業していきました。現在、彼らをメディアでよく見かけます。スゲーやつらだよ。いわゆるTopTierの学生というのはいつの時代も自分の力を発揮できる場所を求めていたということですね。

もちろん、資格が必要であったり特殊なスキルが必要な業務に学生が関わることはできません。しかし、大学生でも関わることができる領域というのは探せばあるものです。例えば、社内メールや回覧資料のコンテンツ作成、業務オペレーションの改善などです。どれも地味な仕事ですがね、そういうところから成功体験を積み重ねていくという意味ではとても意義のあることだと思います。

私が「これをやったぞ!」と言えるのは”つくしの業務オペレーション改善です。当時、マネックス(企業や社員さん、サービスなど)が取り上げられる新聞・雑誌・ネット記事をクリッピングして回覧する仕事がありました。何をしたかというと、雑誌の見開きページとかだとコピーする過程でページがズレちゃうことってあるじゃないですか、それって読みずらいじゃないですか。本来見開きになっていたものが表裏とかになっちゃうわけなんで。それをちゃんと見開きになるようにページを調整して、読みやすいようレイアウトしてコピーするとか、お茶出しをする際のコップの位置とかストックの整理とか。そんな、とんでもなく単純で簡単な改善ではあったのですが、社員さんに提案して受け入れてもらったのが学生としては良き成功体験になった記憶があります。私が学生のときに出来たことなんて、そんなものです。

まとめ

学生が企業でアルバイトするというのは簡単なものではありません。それは能力の問題とかではなく、そもそも機会が無い。あったとしても、情報を手に入れることが難しい(大抵がクローズドであるから)しかし、居酒屋やコンビニ、家庭教師のバイトを否定するつもりはありませんが、どうせなら単にお金を稼ぐためだけに働くのではなく面白いことをアルバイトにしてみて欲しいと思います。

次回は「早くから手本となる人を見つけること」について書きます。

1/31 つくし時代の思い出(その1)

Money Forward ME、いつもお世話になっています。

私は個人的にマネックス松本大さん、マネーフォワードの辻さん、お二方ともに尊敬しています。

遡ること2006年~2008年に、大学生の私はマネックス証券でアルバイトをしていました。マネックスでは学生アルバイトを総称して「つくし」と呼んでいて、私のnoteアカウント名はそこから借りました(由来には諸説ある)

きっかけは先にバイトをしていた大学の先輩からの紹介でした。実はその先輩からは、私ともう一人の友人に対して1つずつ2つのバイト先を紹介されていました。1つは当時ウェブマーケティング事業を行っていたスタートアップ、もう1つがマネックス。どちらか、好きな方を選んでくれと。私は金融に興味があったので即答で「マネックスで!」と言い、友人は「俺はどっちでもいい」と言ってくれたので、私はマネックスでバイトすることになりました。もし、私がウェブマーケティングの方に行っていたらどうなっていたのかなぁ。人生は決断の連続だ。

ちなみに「つくし」の業務ですが、証券外務員のような資格も持ってないし証券業務に関わることなんて出来ませんので、郵便物の仕分けをしたり、会議の出席者にお茶を出したり片付けたり、毎週花屋さんに榊(さかき)を買いに行ったり、松本さんのお昼(当時は”そば”)の出前を取ったり、いわば社内の何でも屋的な仕事です。腰にウエストポーチを巻いて、オフィス(当時は丸の内)、時には丸の内の街を駆け回っていました。

正直にいうと「あれ、、これって雑用、、かな?」なんて思ったこともありました。しかし、実際に働いてみて思い知らされます。えぇ!お前、その雑用すら満足にできないじゃーん!ってことを。

そうなんですよ、普通にのんべんだらりと学生生活を送っている人には、社会人1年目、あるいは派遣さんがやっているような社内の雑用すら満足にこなせないという事実を突きつけられる訳です。とんでもなく、マルチタスクでした。

しかし、そういう事実を知れるというだけでもこの経験は貴重と言えます。何故なら、ちょっと有名な大学に行き、サークルやイベントなどで社会人と接していると、「あれ?俺ってデキる学生なんじゃね?」という錯覚を起こします。恐らく似たような経験をした多くの学生が。そうやって彼らは「意識だけ高い系」になっていく訳ですが、それをへし折ってくれる体験というのは代え難いものです。代えがたい経験に溢れていた2年間といえます。

Newspicksで辻さんの記事を読んで、そんな自分の学生時代を思い出したもので、ここいらで一度つくしの思い出も書き留めておきたいと思ってシリーズにしてみました。

以下のような構成で書いていきたいと思います。

1/16公開  :全体的なはなし
1/23公開予定:学生が企業で働くこと
1/30公開予定:早いうちに手本を見つけること
2/6公開予定  :まとめ

次回への導入として少し書いておくと、たとえ現在どんな業種のどんな仕事をしていたとしても、あの時マネックスでアルバイトをすることができたのは大変な幸運でした。「何が幸運だった?」と聞かれたら「あれもこれも」と挙げればキリがありませんが、泣く泣く絞って3つに厳選すると以下のような内容になります。

・まず証券会社という未知の会社の内情を知ることができた
・ゴールドマンサックスはじめ外資投資銀行出身、国内大手都銀など優秀な社員の方々と気軽に話す機会が得られたこと
・”つくし”という学生コミュニティで生活することができたこと。

いまは広告会社で働いている自分ですが、学生の頃は金融業界を志していた一人でした。そりゃあ、マネックスで働こうという熱意があった訳ですからね。しかし人生には紆余曲折あります。そんなもんです。

大学生からすれば広告会社も外からは何しているか分からないと思いますが、証券会社もよく分かりません。誰にでも得られるチャンスではないということは認識していましたが、まさか証券会社でアルバイトできるとは夢ににも思っていませんでした。しかし、現実は先に述べたとおり雑務中心ですし、学生ながら丸の内の朝の通勤ラッシュも経験したのは良い思い出です。

ちなみに、我々「つくし」は社員の方々と机を並べて座っていたのですが、横にいる方も目の前にいる方も元ゴールドマンサックス出身。あの人は~、この人は~、凄い人達ばかりでした。何より、机2つ先くらいに松本さんが座っている訳ですから、何というか特等席ですよね。分かります?

社員の皆さんから直接何かを教わるということはありませんが、普段の仕事ぶりを横目で見ているだけでも十分な学びになりました。そこから学べない人にとっては何だかよく分からない仕事だったでしょうが、つくし仲間にそんな人は1人もいなかったと思います。

そんな「つくし」仲間の存在も貴重でした。募集方法もユニークで、基本はつくしからの紹介です、大学やサークルつながり。あとは、松本さんが大学でスピーチした時に「うちでは『つくし』という学生バイトを募集している」という話をして、それキッカケで応募してくる人もいたとか。とにかく、同じ学生同士ですら普段なかなか出会えない人たちばかりだったので、その繋がりというのは貴重でした。

とまぁ語れることはいくつもある訳なので、人がそれを読みたいと思うかどうか分かりませんが書いてみたいと思います。

蛇足ですが、私が「あー、恥ずかしい!」と思った出来事があって、松本さんが毎日欠かさず更新されている「松本大のつぶやき」に登場したことです。あー、私にとっても青春だったな。。。とまぁ、つくし達は松本さんはじめ、社員の皆さんからとても可愛がられていたというのが伝わればいいなと思います。

みんなの炭治郎(完結篇)

さて、そもそもは「鬼滅の刃」という作品に惹かれたことからこのシリーズ(マガジン)は始まりました。その間にも「呪術回戦」とか他にも面白い漫画が週刊少年ジャンプにあるんだと気づいて、まだまだ別シリーズとしてこういったマガジンを書いてみたいなぁと思った次第です。

さて、初回記事(11/5公開)では「竈門丹次郎が描く未来」と仰々しく仮タイトルをつけていましたが、作品について考えているうちに「みんなの炭治郎」のほうが適切ではないかと思うようになった。

その理由は、竈門炭治郎は登場人物だけでなく、読者含め「みんなのお兄ちゃん」のような気がしてくるからです。作中の時代も鬼が蔓延っていて辛い時代、我々が生きる現代も殺伐として生き抜くのが厳しい世の中です。そんな世界だからこそ、炭治郎のような兄がいたらその兄弟は家族は、仲間はどんなに幸せだろうかと思うのです。そういった炭治郎が持つ温かさにも触れつつ、最終稿を進めていきたいと思います。

【目次】
・炭治郎の描かれ方
・読者すらも喝破してみせる炭治郎
・努力型主人公
・ある意味で孤独な炭治郎
・炭治郎はどんなヒーローなのか?

炭治郎の描かれ方

炭次郎は家族想いだ、妹想いでもある。そして、鬼にも感情移入できる。それは彼が化け物すら愛せる心根の持ち主だからということではない。鬼が元は人間であると知っているから、彼は鬼が消えゆくその瞬間、鬼たちを人として気遣い接することができるのである。その温かさは、例えるなら兄弟愛・家族愛だと思う。その点で、彼はみんなのお兄さんだ。人の心を温かくしてくれる、お兄さん。

炭治郎の優しさがにじみ出る場面としてこれを挙げてみよう。

年少の者への慈しみ

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このシーンは、霞柱の時透無一郎が「縁壱零式」というカラクリ人形を使って稽古をしたいと小鉄(面の少年)に言う(というより命令する)のだが、小鉄はそれを稽古に使ったら壊れてしまうと断る(もう直せないと)。その二人のやり取りを見て発した炭治郎の発言だ。

補足すると、「柱(はしら)」というのは鬼殺隊の部隊長みたいなものでとても強い人達なんです。中でも霞柱の時透無一郎は剣の天才と言われるほど凄い人物であります。言うならばエリートです。その彼が子供に向ける無遠慮な言葉に堪らず反論しました。反論になっているかというと全くなっていないのですが、庇われた立場の小鉄からすると安心したのではないでしょうか?

世の中の道理からすると正しくても、それをストレートに語ってしまうと摩擦生じ、時に人を傷つけます。それは少し考えれば当然なことではあるんだけれど、「合理性」という数字に換算できる物差しでみれば、それがまかり通ってしまう世の中がある。我々もそういう世界に生きているかもしれません。全然論理的ではないけれど、炭治郎は発せられた正論によって傷つく小鉄を守るために「配慮」という言葉で反論した。

配慮:心をくばること。他人や他のことのために気を遣うこと。
コトバンクより引用

他人のために気を遣うというのは、個人によって感じ方・捉え方が微妙に異なるために共通の指標が作りにくい。そのため例えば電車の中で「配慮しなさいよ!」と叫んでも相手には上手く想いが伝わらないかもしれない。しかし、自分のために言ってくれているという感覚があるから、ここまでストレートに伝えてくれると小鉄は嬉しかったろう。炭治郎は何だか頼もしい。

本編には炭治郎の心の温かさが心象風景として描かれているシーンがある。

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これは第7巻で眠り鬼・魘夢(えんむ)と戦った際、一般人の乗客が魘夢に騙され炭治郎の夢の中で「精神の核(これを破壊されたら人としてダメになる)」を破壊しようと攻撃を企てていたシーン。

炭治郎の精神の核に触れた男性は上記のように

「何という美しさ、どこまでの広い、暖かい」

と表現している。

年長者への敬意

お兄さんというと年下に対してのイメージが強くなるが、年上に対する優しさ(この場合は尊敬という表現が正しいだろうか)というのもあると思う。

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上弦の参・猗窩座(あかざ)との戦闘において炎柱・煉獄杏寿郎は命を落としてしまう。

前回の記事でも触れたのだが、「鬼滅の刃」は敵が強すぎる。鬼は首を切られない限り死なない。腕を切り落とされても復元するし、心臓を撃ち抜かれても死なない。日の光を浴びたら死ぬのだが、基本鬼は夜間にしか行動しないから問題ない。

人間は腕を切り落とされればそのまま腕は無くなる。もちろん心臓を刺されれば即死だ。鬼と戦うのも、鬼に有利な夜間に戦っている。あらゆる状況において、人間は不利な状況に置かれているのだ。

読者すらも喝破してみせる炭治郎

なんというか、我々読者ですら至極当然のこととして受け入れてしまっている状況(設定)ですら、炭治郎はそれを「当たり前ではない」と気づかせてくれる。どれだけ不利な状況で人間(煉獄杏寿郎)が闘っているかを、彼は敬意をもって称えている。それを読者にも伝えている。どれだけ杏寿郎という剣士が強いのかを。

何気なく漫画を読んでいると、読者はどちらかというと鬼側の立場に立ってしまうのではないだろうか?作者がそういう設定をしたから、それを当然のものとして受け入れてストーリーを読んでしまう。

しかし、それは当然なのか?

日の光が出てきてしまうから(つまり、死んでしまうから)戦闘を放棄して逃げ出す鬼(猗窩座)。猗窩座は強さを求める鬼として描かれているのだが、真の強さはどちらにあるのか?次元が異なるものを比較することはできないが、炭治郎はそう叫んでいるように思う。

杏寿郎からすれば、猗窩座との戦いに敗れ死んでしまうとしても、その人生に悔いは残らなかったのだろう。炭治郎は杏寿郎のことを認め称えている。良き、後輩とでも言えるだろうか。個人的に杏寿郎の巻は神巻だと思う。

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努力型主人公

当初この記事を書こうと思ったとき、調べているうちに以下の記事を見つけた。

私もそう感じていたし、この記事をベースに書いてみようと思ったが、「鬼滅の刃」が描く炭治郎の魅力は努力にもあるけど、もっと違うところ彼の本質的な魅力があるのではないか?そう考え始めた。(そもそも、週刊少年ジャンプである以上「友情・努力・勝利」の三原則は必ず約束されている訳だから)

ある意味で孤独な炭治郎

これまで述べてきたように、彼の本質は「みんなのお兄ちゃん」的な姿であると言える。しかし、そうであるが故の孤独というものがあって、炭治郎はそれと戦っているようにも思うのである。

それは炭治郎が自分で自分を励ますことで難局を乗り切っているという姿に、彼の孤独な影を感じるのである。

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彼は戦闘中、自分で自分を鼓舞し闘っている。彼の強さの源泉は家族である。しかし、禰豆子は鬼になってしまい会話をすることができない。それ以外の家族は既に亡くなってしまった。彼が心の中で会話する家族は、彼が作り出した記憶の中の家族だ。現実には彼を鼓舞してくれる人はおらず(禰豆子がいるか)、彼は常に誰かを鼓舞する側、支える側であり続ける。周囲から支えられることももちろんあるのだが、それ以上に仲間を先導し助けている。

その孤独、辛さ、寂しさ、彼は耐えられているのだろうか?

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その優しさは、時に読む者を息苦しくさせるような優しさである。禰豆子は妹であるがゆえに、その点に気づいているのだろう。

炭治郎はどんなヒーローなのか?

私の答えは、炭治郎はヒーローであると同時に「みんなのお兄ちゃん」という表現の方が適切だと思った。彼は強い。「痣者(あざもの)」であるし、選ばれたヒーローである。しかし、彼は「自分に厳しい」、他人に優しくあるだけでなく、自分に対しては物凄く厳しい。それは、他人に優しくあるために強くなければならないというような気持ちを感じる、どことなく心配になる強さである。

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そう、炭治郎はヒーローでありながらお兄ちゃんであり、読者に何か痛々しくて見てられないというような不安を抱かせるヒーローでもある。

そんなヒーローが過去にいただろうか?

竈門炭治郎は近年稀にみる異質な少年漫画のヒーローだ。

これまでドラゴンボール、ワンピース、進撃の巨人僕のヒーローアカデミア、などいわゆる王道的な少年漫画を見てきたが、「鬼滅の刃」は少年漫画の体をしていながら、年長者のお兄ちゃんと年下の妹がともに冒険する話、例えば現代における「ヘンゼルとグレーテル」のような物語でもあるのではないだろうか。

鬼滅の刃は作品としても2019年の顔となるような大ヒット作となった。

その裏側にあるヒットの理由が、例えば多くの人が炭治郎のようなお兄ちゃんを深層心理で求めており、その優しさ温かさに触れて心が晴れる、一方でその危うさが心配になる親心を同時に読者は抱えている。そんな背景があるのではないかと勝手に想像している。

まだ完結していない物語だが、炭治郎がどんな結末を迎えるのか今後の展開がますます楽しみになる作品だ。

1/30 マンガに学ぶ「こちら側」と「あちら側」

この記事を書いて以降、マンガについて色々と考えている。

https://note.com/19830000/n/ne85c81c952fa?magazine_key=me9e8b1682316

そこで考えたのが最近のマンガには「こちら側」と「あちら側」が明確に分けられる構図で物語が展開されることが多い(気がする)。

とはいっても、物語の途中から「その境界線は実は曖昧なのではないか?」と思わせるような展開に踏み込んでいく、それもまた最近のマンガ作品の傾向であると(私は)考える。

そんな作品ごとに異なる構図にフォーカスしつつ、「あちらの世界」と「こちらの世界」について考えていきたいと思い記事を書いてみました。何より、そういったことはフィクションの世界だけでなく、我々が生活するリアルな世界においても当てはまることであるから、比喩として学ぶにはとても参考になる事例であるとも思えます。

私が好きな漫画作品をベースにそれらを考えてみたいと思います。

鬼滅の刃の篇

 

人間と鬼です。しかし、鬼も元来は人間であったことを考えると明確な線引きをしてよいものか、、難しい。

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・呪術廻戦篇

 

鬼滅の刃に続き、最近どハマりしている漫画のひとつ。人間と呪術師と呪詛師と呪霊、これは明確になっているだけでも関わる4種のセグメント。呪霊は人間が生み出すという世界観なので人間と呪霊は近しい存在であるというのが、作品の味な気がしている。

スライド4

・東京喰種篇

 

ヤンジャンに連載されていたので少年というよりは青年向けというほうが正しいかも。人間と喰種。カネキという半人間・半喰種という存在が物語のキーであったが、カネキが例外であっただけで生まれながらにして喰種、生まれながらにして人間という越えがたい壁があったのが東京喰種の特徴だろうか。

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進撃の巨人

 

人間と巨人。人間だと思っていたエレンが巨人であったり、混乱をきたすがあまりしっかり読んでいなかったので読んでみたい。

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PSYCHO-PASS

 

監視官と犯罪者。またはシヴィラシステムによって犯罪係数が基準値を下回る者と上回る者。これがアニメで終わらない時代が来るだろうか。舞台は西暦2112年、結構先ではある。

サイコパス

以上の5作品をベースに、作品ごとの描き方の違いにも目を配りながら自分の世界に引き付けて考えていきたいと思う。どの作品にも共通するのは「共存」ということだ。しかし、出自や立場の異なる者たちが共存をするのはそう簡単なことではない。「漫画は子どもの読み物」とは言われなくなった現代ではあるが、少年漫画誌にそういったテーマを背景にもった作品が毎週掲載されていることを、もうちょっと我々はしっかりと認識する必要があるのかもしれない。

ヒーローとは

鬼滅の刃にハマった大人が書くヒーローについての話。

1日目は”ヒーローそのもの”について。

【目次】
・ヒーローを構成する要素4つ
 -「悲劇(悲劇的境遇)」とはなにか?
 -仲間の存在
 -怒りの感情
 -敵・宿敵の存在
 -ワンピースにおける敵・悪とは?

ヒーローを構成する要素4つ

それは「悲劇(悲劇的境遇)」「仲間」「怒りの感情」「敵」の4つだ。

「悲劇(悲劇的境遇)」とはなにか?

ヒーローに必要なもの、その最大の要素は「悲劇(悲劇的境遇)」ではないだろうか。例えばそれは仮面ライダーに代表される。

城北大学生物学研究室に在籍する本郷猛は、高い知能とともに、オートバイのレースに出るほどの運動神経にも恵まれていた。しかし、改造人間を使い世界を支配しようと企む「ショッカー」に目をつけられ、さらわれてしまう。「ショッカー」は動植物の能力を人間にプラスした改造人間を生み出そうとしていたのだ。本郷は「ショッカー」によって、バッタの能力を加えた改造人間にされてしまう。
 最後の脳改造をされそうになった時、研究室の恩師・緑川博士によって救出され、ともに「ショッカー」のアジトから抜け出した。緑川博士も「ショッカー」にさらわれて協力を余儀なくされていたのだった。しかし、「ショッカー」の野望をくじくために緑川は本郷が改造されるよう画策し、しかも本郷が「ショッカー」と戦うための道具としてオートバイのサイクロン号と、強化スーツを用意していたのだ。
 無事に逃げ延びたに思えた本郷と緑川だったが、潜伏先の倉庫をクモ男に襲われ、緑川は命を落としてしまう。さらに、父親に会いに来た緑川ルリ子に、本郷が緑川博士を殺したと誤解されてしまう。悲しみと孤独の中、それでも「ショッカー」と戦えるのは自分一人しかいないとの決意を胸に、仮面ライダーとなって戦いに向かうのだった。
石森プロ公式HPより引用、ハイライトは著者作成

現在も続く平成令和ライダーからは想像もつかないが、仮面ライダーはショッカーが世界征服のために作ろうとした改造人間。つまり、もともとは悪の存在になるはずだったが、恩師・緑川博士の助けにより決定的な脳改造を免れてショッカーのアジトを脱出することに成功。もはや人間ではないという悲しみと孤独を抱えながらも、人々のために闘うことを決意する。 

ここにあるのは悲劇だ。普通に生活していた男が、いきなり秘密結社に拉致され改造され、悪のために闘わされそうになるという悲劇。どんなに人から感謝されようと、自分は元の人間には戻れないのだという悲しみを抱えて闘う存在。仮面ライダーの原点には悲劇がある。 

次にワンピースを例に挙げたい。ワンピースは新しい世代の漫画として人気になったが、その冒険譚のはじまりにはやはり悲劇と呼べる事件があった。 

冒頭で描かれる悲劇、それは慕っていたシャンクスが自分のせいで片腕を失ってしまうシーン。幼少期のルフィにとって海賊になる大きなキッカケとなった事件だ。

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さらに物語は進み、「マリンフォード篇」で再度大きな悲劇がルフィに訪れる。兄エースの死だ。先のシャンクスの片腕喪失も大きな悲劇だが、それとは比にならないくらいの衝撃で描かれ、ルフィはこれを機に生まれ変わったともいえる成長を遂げることになる。同篇では白ひげ海賊団の白ひげ(エドワード・ニューゲート)の死もあり、読者にとっては心理的衝撃がとてつもない期間だった。

図1

ヒーローの誕生、あるいは成長において悲劇は必須要素である。 

仲間の存在

ワンピースを語る際、セットで語られる文脈が「仲間の大切さ」ではないだろうか。それは23巻・アラバスタ篇のビビとの別れのシーンがとても印象的である。

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仮面ライダーにとっても、仮面ライダー2号(一文字隼人)がいるし、立花藤兵衛や少年仮面ライダー隊だっている。しかし先に述べたように、仮面ライダーは「悲しみと孤独を抱え、たった独りで闘う存在」だ。故に、仲間はいるにしても根本には孤独を抱えているといえる。

ワンピースにおいては個々のキャラクターそれぞれに背景、ストーリーがあり、それが詳細に語られる。作品としてルフィが主人公という形をとってはいるが、読者によってはゾロ、サンジ、ナミ、チョッパーなど仲間それぞれが主人公にもなり得るくらいキャラクターが濃密に描かれている。そしてそれぞれに悲劇を抱えており、それを乗り越えた成長を遂げている点からいえば、ワンピースは脇役のいないチーム全員がヒーローの群像劇であるといえる。

平成の時代に「世界に一つだけの花」が流行ったように、個々人の個性を尊重する世界というのが透けてみえるようだ。

怒りの感情

ヒーローが成長するとき、怒りの感情がある。それは自身の生命が危機に瀕したときもそうであるが、多くは大切な仲間の命が危険に晒されたときヒーローは覚醒しこれまでに無い大きな力を手に入れる。 

仮面ライダーBLACK RXは怒りの感情(ロボライダー)のほか、哀しみの感情(バイオライダー)もあったため、心を揺さぶるような強烈な感情というのがヒーローの成長には不可欠といえる。

敵・宿敵の存在

さらに、ヒーローがヒーローとして成立するのに必要な存在として「敵」がいる。

仮面ライダーでいえばショッカーだ。後の平成ライダーシリーズでは明確な正義というのを描かない形で物語が展開したが(特に「龍騎」)、それは現代にも続いているだろう。絶対的な正義というのは、もはや存在しないといえる。

しかし、初代仮面ライダー当時は正義と悪がパッキリ別れていた。仮面ライダーが正義、ショッカーが悪。仮面ライダーが存在するためにはショッカーという悪が必要なのだ。そうでないと、改造人間にされてしまった本郷猛は人間にとって怪人と映る存在で、自分が駆逐されなければいけない対象になってしまう。存在の自己矛盾。

 

一方のワンピースにおいては敵というのが存在しないといえる。

クロコダイルもエネルもゲッコー・モリアも、敵として描かれているが、彼らの存在が無ければルフィの存在が脅かされるかというとそうではない。ルフィが掲げる「海賊王になる!」という目標の過程で障害となる人たちであって、ルフィは何かの正義を成そうとして彼らを打ち砕いたのではない。結果として、アラバスタ王国やジャヤに平和が訪れたことになるが、それが目標ではない。まるで水戸黄門。行く先々で問題を解決してまわる存在。

ワンピースにおける敵・悪とは?

そもそもルフィは海賊である。そしてワンピースには海軍が存在している。世の中的に考えれば、海賊=無法者集団=悪海軍=政府機関=正義、と語ることができる。

ここでも多面的な正義を語ることができる。

ルフィが掲げる正義があれば、海軍が掲げる正義がある。背中に正義と書かれたコートを羽織る海軍大将たちこそが正義であるような気もするが、彼らはルフィの夢を打ち砕かんとする敵として描かれる。

特異的に絶対的な悪として描かれる黒ひげ海賊団が敵ともいえるが、彼らなりの悪人の仁義なるものがあるとすれば、それも理解する必要があるのだろうか?ワンピースにおいては、仮面ライダーを語るようにヒーローと敵を分かりやすく語ることができない。「味方」と「敵」がかなり流動的だし、固定的に捉えることができない。

以上、仮面ライダーとワンピースという2つの作品をもとにヒーローに必要な要素3つを挙げてみた。それは最終的に語りたい「鬼滅の刃」にも踏襲されている。


次回は日米におけるヒーローの描かれ方について書いていきたい。

 

※元記事はこちら。

https://note.com/19830000/n/n6b2ca9cb1bc3?magazine_key=me9e8b1682316

竈門炭治郎というヒーロー(鬼滅の刃)

最近「鬼滅の刃」という週刊少年ジャンプで連載中の漫画に熱中している。

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鬼滅の刃サイトより引用

結構はまったワンピースから何となく離れていき(なんでだったんだろう。。)、最後まで読み通したナルトが連載終了してしまってから早数年、週刊少年ジャンプを手にすることは無くなっていた。昔はあれだけ熱中していたのに。そんなとき偶然AmazonPrimeで「鬼滅の刃」アニメ放送を目にしてハマってから、漫画に逆戻りした。

面白い。

何が面白いかというと、主人公「竈門炭治郎」が私がこれまで出会ったヒーローとは少し違った主人公だったから。

そこで主人公「竈門炭治郎」から透けてみえる現代の新しいヒーロー像というのを探ってみたいと思ったのが本稿を書くに至ったキッカケだ。一回で書き切れるわけもないため、以下のような構成で数回に分けて書いていきたい。

【目次】
・1/06公開        :ヒーローとは
・1/07公開予定 :ヒーローの描かれ方(日米比較)
・1/08公開予定:週刊少年ジャンプが描いたヒーロー(昭和~平成前期)
・1/09公開予定:週刊少年ジャンプが描いたヒーロー(平成後期~令和)
・1/10公開予定:竈門炭治郎が切り拓く未来

 

※元記事はこちら。

https://note.com/19830000/n/ne85c81c952fa?magazine_key=me9e8b1682316